『少女七竈と七人の可愛そうな大人』-桜庭一樹- を、読みました。

前回、『私の男』の映画を見て、憤慨していた綾瀬ですが、桜庭一樹先生はやっぱり読むに限ります。

『少女七竈と七人の可愛そうな大人』もとっても素敵な作品でした!

と、その前に。もう一度言いたい。

『私の男』は、是非、原作で読むことをオススメ致します!!

映画の方が興味ある方、もうロードショーはほとんどやっていないので、レンタル化する前にこちらを読んでみたりすると良いかもしれないし、読まないほうがいいかもしれません。笑

『私の男』を、見ました。

 

 

さて。本題に。(以下ネタバレなのかもしれない内容になりますよ。)

 

 

『少女七竈と七人の可愛そうな大人』を読み終えました!

桜庭先生の代表作ということですが、ずっと積みKindleしておりまして……。
何でもっと早く読まなかったのだ! という作品でした。

 

舞台は北海道。この点、『私の男』と同じ舞台で、ついつい勘違いしがちなのですが、桜庭先生って鳥取県出身なんですよね。
どうしてこうも北海道が多いのか……不思議です。

私は雪国秋田出身ではあるのですが、北海道はまた別の次元に突入している件なので、ある種神秘でもあります。
独特の冬の匂い、とてもいいなぁと思いながら読み進めました。

 

母親から娘へ。物語の主導権が移っていく話でもあります。
桜庭先生は、「親子」「血」のようなものをテーマにすることが多く、きっと重要なテーマなのだろうなと思います。

特に今作はその「血」の濃さと呪縛のようなものが、やはり強く描かれていて、桜庭節!という感じです。

 

タイトルになっている「七竈」は木の名前なのですが、母である優奈にとって、とても重要なワードであり、娘である少女の名前なのです。

その七竈ちゃんが、とてもいい。
私思い描く理想の女性です!!
生まれ変わったら七竈ちゃんみたいに生まれ変わりたいです。

 

とにかく美しい。彼女の存在を知らぬ人がいないほどのルックス、誰もが振り向いたり噂するような七竈ちゃんですが、それはある種異形であり、呪われた美しさとも言える……。
それほどまでに、街から浮いてしまった存在なのです。

そんな彼女と対のように存在する美しい幼なじみの少年、雪風。

二人は恋人ではないけれど、二人にしかわからない、完璧な世界を構築していて、その中には誰も入れない……。

 

七竈ちゃんはその雪風と自宅に今に広がる鉄道模型だけを心の拠り所にして生活していますが。

彼女はその血と、彼女を取り巻く大人のせいで、「変わらない」でいることが難しいと悟り始め、変わっていきます。

 

きっとそれはでも、七竈ちゃんだからということだけではなくて。

 

少女はいつか必ず大人になるんですよね。
それな七竈ちゃんの身にも起こることなのです。

 

彼女はその異形の美しさゆえに、その美しさが特別でない世界に憧れを懐きますが、それはなんというか動機の一つでしかなくて。

思春期における、たった一つの大切なことや、何よりも尊いような気がしていたことは、いずれ形を変えてそうではなくなってしまうという、変化の波に身を任せるための、きっかけでしかないんだろうなと思いました。

 

少女は、少年を置いていってしまうものなんですかねぇ。

 

この作品に限らず、そこに残るのは、いつも少年のような気がします。

少女は、少年を置いて、大人になってしまう。

 

あっという間に少女は少女でなくなり、若さは消え、若くない何かになる。

男の人とは、生きる速度が違うのかも、しれないなぁ。なんて。

 


『私の男』を、見ました。

大好きな桜庭一樹先生の作品の中でも、特に好きな『私の男』が映画化するということで、楽しみにしていた綾瀬です。

ここで『私の男』について描いた記事を! ……と思ったら、描いてないじゃないですか私。何たる段取りの悪さ……。

すごく書いた記憶があったのですが、この記事でチラリと触れているだけでした。

『ホテルローヤル』-桜木紫乃- を、読みました。

 

見なければ見なければと思っているうちに時間が経過し、調べてみたら……。
もうほとんどロードショー終わっているではないですか!!

急いで、スケジュールを調整して、急遽上京してきた綾瀬です!
そして、昨日なんとか滑り込みで鑑賞してきたのでした。

『私の男』

 

感想。ですが。
一晩たって落ち着いたので書こうと思うのですが。

あ、ここからは久しぶりにネタバレ込みでいきますのでご了承ください。

 

 

ええと。

 

私、このブログで初めて、批判します!!

 

 

圧倒的なコレジャナイ感……。

何でしょうか、おすすめポイントといえば、「二階堂ふみちゃん可愛かったよ! 体当たりだよ! ふみちゃんの裸……裸きゃーー!!。」

くらいですかね。

 

久しぶりに映画見て消化不良になりました。

これじゃあただの悪口なので……。
なるべくきちんと書こうと思うのですが。

 

まず、一番思ったのは、原作を読んでない人がどう感じたのか? です。

 

私は原作を知っているので、その上での納得いかなさがあるのですが、一緒に行ってくれたお友達の意見をまず聞いてみたところ。

 

「久しぶりにつまらない映画見て、お金損したと思った。」

 

でした……。

やっぱりそうなのか、と。

 

ええと、主題が全く見えないんですよね。

結局何が伝えたかったのかが分からなくて。

原作でそれほど描写されていなかったシーンをやたらと濃く取り上げたり、映画版の解釈で追加されたシーンが全く生きているように感じられなかったり。

 

なんだか無駄に軸だけぶらされて、骨抜きにされたような印象。

 

 

もう一つは構成。

原作ものが映像化されるに辺り、構成が変更されることは仕方のない事だと思っています。
映画には映画のロジックがあるので、原作はそのまま良い脚本とは成り得ない。
だからこそ脚本化という作業が重要になると思っているのですが。

あえて言うのであれば、原作は時系列を遡っていくような構成になっています。
一番最後に、一番古い話が来て……というと少々語弊があるのですが、それでこそ印象的なラストになっている。

映画はそれを、時系列で追っていきます。
なので、原作の最初のシーンでお話が終わるわけですが。

私驚いて、「えっ!?」と劇場で声だしちゃいました。
いいんですよ。別にそのシーンで終わるのはいいんです。

何その描写……。ってのがあって。もう、は……? だったんですよ……。

 

それより何より、時系列でたどるなら、そこ語らなくてどうするの!!ってシーンがまるっまるカット。
そのせいで、小町さんはただの過去の人になっているし、二人が抱え続けてきた2つの殺人の影もまーるで重みなし。
なんじゃこれ……となったのでした。

 

 

そして、淳吾と花の関係。

なーーんかもう、うっそくさくて。

何がって肝心なところのディティールがことごとく落ちてて、なんだか中身の無い「禁断の愛、近親相姦」ってことだけがひとり歩きしていて、リアリティも原作の独特の気持ち悪さを通り越してなんだか神がかってしまった二人の関係も、何も描けてない。

もう、ふみちゃん体張ってる!! しか、ない。

 

ああ、すみませんもうやめますね……。悲しくなってきたので……。

 

国際映画祭で受賞もしたようですが、とにかく私の感性とは合わなかったようです……。

正直に、楽しみにしていただけ、本当に残念な作品でした。私としては。

 

ただ。
原作、桜庭一樹先生の『私の男』は、ほんとうに素晴らしい作品だと思います。
直木賞受賞作でもありますが、その看板に勝るとも劣らない内容です。

ぜひ、手にとっていただけたら嬉しいなと、一人のファンとして、思います。

映像化、ってやっぱり難しいんですね。
「小説は最も高尚な表現だと思う」という友人の発言を反芻した夜でした。

それではもう一度最後に。

原作、『私の男』綾瀬みうは心から推薦いたします。


『赤×ピンク』 を、見ました。

とんぼ返りになりましたが、昨日は急遽上京。

桜庭一樹さん原作の『赤×ピンク』の上映初日兼舞台挨拶に行って来ました。

舞台挨拶というものは人生で初めてで、一体どんなものなんだろうとドキドキしておりましたが……。
非常に素敵で、特別感のあるイベントでした!

主演者の女性陣は、皆、赤とピンクの鮮やかなドレスを身にまとっていて、本当に華やか。
特に主演の皐月役である芳賀優里亜さんと来たらもう!
顔ちっさい!足長い、ほっそい!もう同じ人間とは思えない!
選ばれし女性の威光で、私焼け焦げそうでした……。

でも私の一番の目当ては桜庭一樹さん!
お綺麗でした……!

そして非常に親しみやすいお話方で、ああ、可愛らしい方なんだなぁ……!と感じました!

今回は、芳賀優里亜さんの初フルヌードということも非常に話題だったようですが、その挑戦についての思いや、皆が本当によく話し合って役を練っていったこと、そして現場がとてもよい雰囲気だったことが感じられる、とにかく笑顔の絶えない舞台挨拶でした。

 

そして、本編。

原作読んでおいてよかったなぁ、と思いました。
舞台挨拶でも語られていましたが、原作をそのまま映像化することは難しいのです。
映画には映画のメソッドがありますから、その演出方法に、原作が台本としてそのまま機能することは殆どないのだと思います。

構成が変わったり、新しい解釈やシーン、設定が付け加えていたり、変えられていたりするものです。

ただ、これは中心になる3人の少女(映画では4人)の描写が非常に重要で、坂本浩一監督も、その設定は極力原作に忠実に、を心がけたということでした。

地の文で語られることが多い小説ですから、自分の事を口で語る少女達のシーンが多かったような気がします。
ちょっと説明的ではあったのですが、きちんと彼女たちの背景などが語られていて、良かったです。

小説のその後、も語られていました。
これについては正直賛否両論だとは思います。
私も100%賛成ではないにしろ、全体的にはとてもグッと来ました。

特に、クライマックスの格闘シーンは本当に手に汗握るもので、前に乗り出して見入ってしまいました。
良かった……とほろっとしましたし……。

小説って、やっぱり語らない良さってあるなぁと思っていて。
映画では結構語りきってしまった感もあって。
なんだか少し軽い感じがしたところもありました。

でも、よかったな。熱かった。

桜庭さんが、「最後は小説と同じ終わりで嬉しかった」的な事を言ってらっしゃったのですが。
本当に、そうだったのが。
一番良かったかもしれません。

今回は師匠から誘っていただいたお陰で見ることが出来た上映でした。
きっと師匠も何か言いたいことがあるのでしょうから、私はこれくらいにしておきます。

桜庭一樹さん、大好きだなー。
もっと彼女の作品を読みたいと思いました!!

『私の男』も期待してます!!

 


『赤×ピンク』-桜庭一樹- を、読みました。

明日から映画が公開される桜庭一樹さんの『赤×ピンク』を先ほど読了しました。

久しぶりの本ブログなのですが、相変わらず書評の体を成していないネタバレスタイルで書いていきたいと思います。
未読の方はご注意を……。

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六本木の廃校で夜な夜な行われるキャットファイト、その興行に身を投じる少女達……。

3人の少女達一人ひとりの視点を中心とした、3つの章で構成されています。
その3人の少女は互いに同じキャットファイト「ガールズブラッド」の出演者。

時系列は順番に流れていて、各章で同じ場面が描かれていたりするのですが、章の主人公である女の子の視点で語られるので、片方の子の章では何気ないシーンだったのに、もう片方の子の章では実はそのとき悶々とこんなことを考えていました!というようなことが分かる構成で、とても面白かったです。

普通物語は、主軸となる語り部の視点で語られるので、一面しか見えてこないのですが、本著はそれぞれの少女の見ている側面が集まって物語全体の輪郭が見えてくるような作りでした。

 

それぞれの少女が闇を抱えていて、みんなが、その闇を振り払う方法を知らない。
でもガールズブラッドの檻の中で血を流して戦っているひとときだけは、その闇から開放される。
まるで、格闘技にすがるように、ハマっていく。

最後はそれぞれが、「次」へ進んだなぁ、と思いました。
何かを見つけたように、気づいたように、踏み出したように、闇から半歩出る。

半歩、なんですよね。
全てが解決したわけではない。でも、確実に半歩はその闇からみんな前に進む。

その先に何が待ち構えているかわからない。
でも、行き先が分からなくてうずくまっていた闇の中から、なんとなくあっちなのかな、という行き先めいた光を見つけて、そちらへ進んでいく。

そういう意味で、みんなは救われているのかな、と思いました。

 

まゆ、ミーコ、皐月という三人の少女が登場します。
少女の定義、正直私も曖昧ですが、少女だな、と思います。
みんな大人じゃないから。

まゆはガールズブラッド上では14歳という設定を与えられていますが、彼女は実は21歳。
そのまゆから物語は始まりますが、彼女は最後、ガールズブラッドを去ってしまいます。

でもそれは「檻」という呪縛からの開放なんだなと思いました。
小さい頃から閉じ込められ続けていた「檻」。

自分の力で出れるはずなのに、出れなかったそれの外に出れた彼女は、結局また自分でガールズブラッドという檻に戻っていく。

「居心地が悪いけれどここでしか生きていけない気がする」とまでいう彼女が、最後は自らの足で檻から逃げていく。

自分の力で檻から出るのです。

ミーコは19歳。

「人に合わせる、人の期待に応える」ということに執心した結果、相手が何を望むか手に取るように分かり、完璧にそれに合わせられる子になった。

そうしているうちに家族を失い、自分で欲するということを失ってしまった。
自分がどうしたいのか、まったくすっぽり抜けてしまっている人間になってしまった。

彼女はまゆがいなくなったことを機に、そんな自分について考え始める。
そして選んだ道が「客の物語を完璧に描く」ことができていたSMクラブを辞め、「客が喜ぶ試合運びに専念していた」ガールズブラッドで、自分の好きなように戦ってみる。

その小さいかもしれない一歩で、親から捨てられた15歳の夜から、開放され、生きている感覚を取り戻していくのです。

皐月も19歳。
心が男であることを誰にも言えず、そしてそれが原因で家を出る。
彼女の徹底的な女嫌いも、帰りたいけれど実家に帰れない理由も、全てが逆説的で、自分が男性であることを誰にも打ち明けられずにいた気持ちがこじれてしまっているから。

ただ、千夏という女性の出現により、皐月の心は溶けていく。
自分が男であることを見破られ、そして全てを打ち明けることで、人生をやり直そうと、思う。

家に、帰ろうと、思う。

蜃気楼、とまで言っていた女性を初めて腕の中に抱きながら。

愛されたかったまゆ。
愛することも愛し方も理解できないミーコ。
愛したくても愛せなかった皐月。

これは、それぞれの愛の物語でもあるなぁ。なんて。

そして一人だけ年齢的に大人であるまゆだけが、ガールズブラッドから出て行ったことは、何かを意味しているんだろうか、と今考えています。

みんな、「普通」から比べると変わった人生を歩んできた娘達だけれど、だから闇があるということでもない気がしました。

これは本当に、「女の子」の話で。
全編に濃密なまでに「女の子」が詰まっているお話でした。
「女の子の闇」のお話なんじゃないかな、と今は思っています。

まぁ皐月は男なんですけどね。笑
でも、「女の子」という殻に入っている彼女のお話は、やっぱり。
女の子、が漂っています。

これがどんな風に映像化されるのか楽しみです。
プロモーションを見た限りでは、おそらくかなりオリジナル要素が入ってくるんだろうなと思うので。

どんな「救い」があるのか、女の子たちがどうやって「闇」から出て行くのか、しっかり見てこようと思います。


『赤×ピンク』、を読み始めました。

前回の記事で宣言した通り、土曜日の映画鑑賞に向けて、桜庭一樹さんの『赤×ピンク』を購入しました!
積ん読ダンボールを探す暇がなく、結局Kindleで……。
でもよいのです。Kindle使って思いましたけど、なんだかんだで、紙の意義って変わらないなと。
なので、好きな作家さんの本であればかぶっても問題ないのです。

 

六本木の廃校で夜な夜な行われるキャットファイト、その興行に身を投じる少女達……。

まだまだ、全然読み進めてないのですが、すでに大好きな雰囲気が漂っています。

桜庭さんって、少女が大人の女性になる過程の、あの独特の雰囲気をテーマにすることが多いような気がしています。

暴力的なシーンや死という事象が多く登場するのは、大人の女性になるための通過儀礼的な「少女性の死」みたいなものを表現したいんじゃないかな……なんてなんの根拠もない勢いの憶測をしてみます。

今度ちゃんと検証したいです。

という、読書のスタートを報告するという珍しい記事でした。
また都心は雪が大変みたいですが、どうか気をつけて……。


『赤×ピンク』のロードショーが迫っていた、というお話。

大好きな桜庭一樹先生の『赤×ピンク』の映画化が決定した、という話は聞いていたのですが、なんと10日後の2月22日からロードショーでした……!

「舞台挨拶付きで22日からだけど、綾瀬ちゃん行く?」

と師匠から連絡が。

行きたいです。今、秋田ですけど。
仕事……調整つけれるかしらん……。
一応チケットは二枚あるらしいです。がんばろう原稿。

『赤×ピンク』公式サイト

そして、原作の方はまだ読んでいないので、この10日間の間になんとか読もうと思っています。
ものすごく、買った気がしてるんですが……積ん読ダンボールの中にあるのだろうか……。
探すの時間かかるからもう今この瞬間にKindleで買っちゃおっかな……。

角川のページには簡単な紹介も→KADOKAWA

桜庭先生といえば、『私の男』の映画化も決まっていて、すごく楽しみなのですが。(あれ、音楽ジム・オールクって書いてある!!)
その前段階として、是非是非みたいなぁと思っています。
劇場情報を見る限り、100%秋田では上映しませんし。はは。

というわけで、きっととんぼ返りですが上京するために、ワタシゲンコウガンバリマス。


『道徳という名の少年』ー桜庭一樹ー を、読みました。

なんだか最近あちこち走り回っていて本を読めていませんでしたが、2日前くらいに読み終わった本のお話。

桜庭一樹先生の『道徳という名の少年』です。

最近、一冊読み終わったらその作家さんの他の本を買うというプレイをしているのですが、基本kindleでまず探すので、その中から気になったタイトルの本がこれだった、という感じで。

今回の購入は全く事前情報無しのジャケ買いでございます。

 

例のごとくネタバレがございますので、未読の方はご注意くださいませ……。

 

町いちばんの美女が雪の降る晩に赤子を生むところからお話は始まる。

町いちばんの美女の子には父がなく、それは罪深く、町の秩序を脅かす出来事出会ったため、人々は恐れおののく。

美女は初めの子に「1」という名をつけ、つぎつぎに生んだ父のない子に「2」「3」と名をつけていき、4人目の子には「悠久」という名をつけた。

出来事を恐れながら見ていた町の人々は、「悠久」という名は、これで打ち止めということだと解釈し、安堵した。

4人の姉妹は、まったく父の面影がなく、美女に瓜二つで、また4姉妹は少しずつ個性はあるながらもそっくりだった……。

その4姉妹と美女の母、そして後に生まれる4姉妹の異父弟をめぐる物語「1,2,3,悠久!」

 

そして、4姉妹の末の妹と異父弟、その間に生まれた子ジャングリンと向かいの家に住む女の子を巡る、奇妙な愛の話「ジャングリン・パパの愛撫の手」

 

ジャングリンと向かいの家の女の子の間に生まれた子ジャングリーナを巡る孤独な話「プラスチックの恋人」

 

ジャングリーナの子ジャンを巡る悲しく純粋な話「ぼくの代わりに歌ってくれ」

 

そしてラストは、ジャングリーナと親戚かもしれないミミとその友達のクリステルを巡る喪失の話

「地球で最後の日」

 

この本は、桜庭先生が、まったく別の媒体にそれぞれ発表した作品を一つにまとめたものなのだそうです。

初めの「1,2,3,悠久!」の時点でおおまかな構想はあったようなのですが、それを元に、その後全く別々のメディアの執筆依頼に対して他の4つの作品を書き発表し、それがのちに短編連作ともなるこの不思議な本に仕上がったのです。

という話を聞くまでは、狙って書いたのだろうなと思っていたのですが、それぞれが時期を同じくせず、いろんな場所で展開していた作品群だとは……。

 

確かに、それぞれは独立した作品として十分に読むことが出来ます。

ただ、続けて読むと、一つの血の繋がった一族の年代史として、非常に奥深い表情を見せる物語に仕上がっているのです。

一番最初の母「町いちばんの美女」は奔放に生き4姉妹を生み、その4姉妹も奔放に生きていく。

4姉妹は一度皆娼婦となり、末の妹は血の繋がった弟と子をもうける。

それはすべて「道徳」に反する行いであり、彼女たちは自分たちに足りないものは何だっのかと話し合い、その名を末の妹と弟の子に名付けるのです。

「ジャングリン=道徳」と。

一連の年代史は、一族の血と「道徳」という名の呪縛からなされる物語としても読むことができるのかなぁと思いました。

同じようなことが巻末の榎本正樹さんの解説にも書いてあるのですが。

 

文体も独特で、説話集や昔話を読んでいるような気分になります。

簡潔な語り口や典型的な物語構造を持って書かれており、さくさくと読めるのですが、とても濃い。

行間に詰まっている情報がとても多くて、それがテンポよく頭に飛び込んでくるので、なかなかに脳みそがびっくりする作品となっていると思います。

 

桜庭先生の作品で拝読したのは『GOSICK』『私の男』、『推定少女』、『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』『少女には向かない職業』です。

その中で、私は「父」というものを強く感じていたのですが、この本は「母」の物語だなぁと思いました。

巻末に「インタヴュー 桜庭一樹クロニクル 2006-2012」というものが収録されていて、この6年間の間に榎本正樹さんが桜庭先生に行ったインタビューが大量に収録されていました。

どれくらいというと、ほんの半分くらいが実はこの記事でした……笑

そうとも知らず、まだ読んでいない作品のインタビューまで読んでしまったのですが、どうやら桜庭先生は「父」よりも「母」を多く描いているらしいということが分かってきました!

なので、これまでの私の認識は見当違いだった可能性が大で……若干今恥ずかしいのですが、素直な感想として大事にしてあげるとして……。

この『道徳という名の少年』は桜庭先生の「母サーガ」の一つとして読んで見ると良いと思います。

とにかく早く『少女七竈と七人の可愛そうな大人』を読まないとな、と思っております。

 

ちなみに「インタヴュー 桜庭一樹クロニクル 2006-2012」は内容がかなり濃いので、作品を読んでから読んだほうが先入観なく作品に触れられると途中で気付き、先送りにしました。

桜庭先生の作人に対する生の声が聞きたいあなたにも、是非オススメの本です。

 

 

 

 

 


『少女には向かない職業』-桜庭一樹- を、読みました。

約一ヶ月の翻訳本の旅が終わり、やっと気楽に日本の小説が読める!と嬉々として読ませて頂きました。

『GOSICK』から大ファンの桜庭一樹先生の本です。

くしくも、私のPaperwhite初読了本となりました。

 

(例のごとく気ままに書きますので、ネタバレ含む可能性大いにありますので、ご注意ください。)

 

14歳の女の子のお話。

そういえば『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』も『推定少女』も、『私の男』にも中学生の女の子が出てきた気がします。

桜庭先生の好きなモチーフなのでしょうか。

海辺に囲まれた田舎町、漁師……という舞台もしかり。

ご出身が島根だそうですか、ご自分の投影だったりするんですかね……。

私も東北のど田舎出身なので、もし自分が書くことになったら、そういう風景って投影するのだろうか、とか考えてみたり。

 

桜庭先生の作品って、とにかく人が死ぬんですね。と最近やっと分かってきました。

恋愛に関しても、普通のものが書けないんですよね、といつかのあとがきで仰ってましたが、死、に関してもまぁ、なかなかに特殊というか、味があるというか……。

今回も血が繋がっていないにせよ「父殺し」がありましたし、逆に『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』だと、お父さんに殺されちゃう女の子が出てきますしね。

『推定少女』も『私の男』も、「父」という存在がとても重要になってくるのですが、これもよく登場するテーマということは、何かしらのメタファーだったりするのでしょうか。

 

14歳、思春期真っ只中の女の子の、脆くて壊れそうな自我を一生懸命立たせているような日常。

14歳なりの人生観、世渡り、なんとなく先が見えないような不安とか。

青春なんてキラキラばっかりしてるわけじゃなくて、それ相応に辛くて理不尽で、いいことばっかりじゃない。

子供だって必死なんだよ、という小さな叫びにまでならない呻きみたいなもの。

私は、後々自分で「達観症」という名前をつけることになる、一歩引いた俯瞰で物事を見るような、世の中ちょっとわかっちゃってるような、どこかすかしたいけ好かない子供だったのですが、ものすごく自意識過剰でもあって、その頃を思い出して胸が痛くなったりしました。

ありふれた言葉で言うなら、そんな青春群像劇に「殺人」というアンバランスすぎるものが侵食してくる……。

 

14歳の殺意、ってなんだろうと思いました。

私は「キレる14歳」という世代を身近に体験した人間ですから、子供だって人殺すんだよ、っていう認識があります。

あの頃、殺したいほど憎い人っていたかな、もしくは、それに近い力で排除しないと自分に不利益になる人っていたかな、と考えてみました。

ぱっと浮かんでくる人はいませんでした。

あの先生嫌いだったとか、本当に面倒くさくてうざかった先生がいた、とか。先生のことばかりでした。

それってどういうことかというと「大人への嫌悪感」なのかな?とふと考えたのでした。

 

子供は「大人はずるい」ってよく言う生き物だとされていますが、それってつまりは、子供にはどうしようもない、大人が行使する強大な力全般に対する、必死の抵抗の一言なんじゃないかと、思うのです。

なんだかんだ、最後には言うことを聞かないといけないとか、暴力に訴えてもかないっこないとか、結局そういう諦めを心のどこかに持って接しているのかなと。

その中でも、どうしようもなく逃げようがないのが「親」なんですよね。

 

私は幸いにも(?)親を殺したいと思ったことはありませんでしたが、親を殺したいと思う気持ち自体は、完全に否定出来ないと思っています。

いい大人になってしまうと、質が違ってしまうので、そちらに関してはちょっと待ったと思うのですが、子供が親に対して抱く「殺意」は、なんだか仕方ない気がしてしまうんですよね。そういう理由で。

もちろん、助長する気は一切ありませんが。

 

大人と殺意の話に寄ってしまいましたが、この小説が子供の殺意を本題にしている、とは全く思いません。

「殺人」は、このお話の中でアイテムでしかないのかな、と。

大人と子供のコントラスト。子供、14歳というもののアウトラインを、より明確に切り出すために、用意されたアイテムなんだと思うのです。

だから、絶望から自分を救うために親を殺す話でも、14歳のダークサイドをあぶり出すサイコ的な話でもなくて、脆くて弱い、オトナになるために何とか生き延びたい少女たちの、至極まっとうな青春群像劇であると、改めて結論を出すのです。

 

私は当分殺されたくありませんが、14歳って、人を殺すぐらいに多感でキラキラして絶望している歳だと思うのです。