一ヶ月前くらいでしょうか。Twitterに流れて来たこのイベントの情報を見て、反射的に予約をしたのは。
私は会社でイラストレーションを作る部署にいるので、新海誠さんの名前はよく聞いていました。
背景がすごい、みたいなざっくりした情報。てっきり背景イラストレーターさんだと思っていた位です。失礼なお話ですが……。
『秒速5センチメートル』自体は知っていました。なにせ山崎まさよしさんの大ファンだったので、「アニメの主題歌になったの?」と当時思ったことを覚えています。
ケーブルテレビの音楽番組か何かで見て、結局映画自体は見ていなかったのですが。
その2つが「新海誠監督」という繋がりを持ったのは最近のお話。
『秒速5センチメートル』の漫画を課題図書として貸してもらったことがきっかけでした。
そして、私の中の新海さんといえば、最近読んだ『リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか』に、その名前が登場して、大塚英志先生と東浩紀さんが批評していたことです。
そこでは『ほしのこえ』を発表した当時の新海さんの話がなされているのですが、全くほぼ一人でこの作品を作り上げてしまったというエピソードを知り、とても興味が湧いていたのでした。
と、私の「新海誠」の事前情報はこれだけでした。
作品は全て初見。オールナイトという過酷な状況ですが、一瞬足りとも気が抜けないなんともスリリングな夜が始まったのです。
正直、うまくまとめられる気がしないのです。
取り留めもない内容になってしまいそうなのですが、どうぞお許し下さい。
例のごとくネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。
◆ほしのこえ
『リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか』で、新海さんがこの『ほしのこえ』をたった一人で作り上げたという話を知り、それは一体どういうものなんだろうか、と思っていました。
時間は25分。少し納得。これが1時間とかだったら、新海誠という人間は一体何者なんだ!という変な先入観が出来てしまっていた気がして、なんだか安心しました。
「携帯の電波が届くところが世界だと思っていた。」
長峰美加子が握る携帯電話は、棒状の懐かしいモデル。
時代を感じつつ、ボタンを両手でプッシュしながら、緑色の画面に一生懸命メールを打っていた頃を思い出しました。
人物の作画には正直「えっ!」と思ったけれど、新海さんが一人で作り上げたということを思い出し納得しつつ、次第に物語の引力で気にならなくなっていました。
寺尾昇と美加子の、日常の何気ないやりとり。
ノスタルジーを逆なでされるような感触、すでにちょっと痛い。
ああ、もうこの頃の感覚ってどんどんすり減ってきてしまってるよなぁ……なんてセンチメンタルになったところで。
宇宙空間にロボット。
……えええええええええ!!!!????
『秒速5センチメートル』しか事前情報がなかった私は、一瞬置いてけぼりを喰らいましたが、数秒後すぐにリカバリーしました。ただ、斜め上で正直驚きました笑
謎の生命体の脅威に対し、国連宇宙軍が対抗するためのロボット「トレーサー」。
そのオペレーターとして選抜された美加子は、宇宙に旅立ちます。
この、女の子が地球規模の危機に、ある日突然立ち向かわなければならない状況になるという設定について『最終兵器彼女』を思い出してしまいました。
あとで調べたら「セカイ系」という言葉において、やはり『ほしのこえ』と『最終兵器彼女』は代表例に挙げられているんですね。その話は後に譲ります。
宇宙でもメールは届くらしく、地球にいる昇に、美加子はメールを送り続けます。
ただ、美加子は光年単位でどんどん地球から離れていき、メールが届く間隔はどんどん長くなっていく。
為す術なく待ち続ける昇と、昇との何気ない日々を求め続ける美加子。
新海さんの作品は、「主人公の2人の心の距離と、その近づく・遠ざかる速さをテーマとしたものである」(DVD『秒速5センチメートル』に特典映像として収録されている、新海誠へのインタビュー)らしいのですが、まさに、その距離と時間が、メールというアイテムを使って残酷なまでに離れていくさまを表現しているんだと思います。
私は、全作品を通して、もう一つ「孤独」というテーマがある気がしています。
宇宙空間に一人っきりと思えるような状況、大好きな人とは気の遠くなるような距離、そこに身を置きながら、願わくば何事も無く帰れますようにと願う美加子。
彼女は子供で、そして与えられた使命があって、それを放棄して戻ることは叶わない。
ただ、思い出と希望を胸に前に進むしかない。
待ち続ける昇も子供で、見えない大人が決めた不条理にも思える決定を覆す力もなければ、自ら後を追うこともできない。
ただ、間隔が長くなっていくメールを待ち続ける。
心だけは繋がっている、そう思いたいけれど、それすらも危うくさせるほどの距離と時間が、そこには広がっている。
次にメールが届くのは8年後、なんて。
そして待ち続ける日々から、前に進むことを選んだ昇の元に届く、8年前のメール。
大人になるにつれて、距離と時間に対する向き合い方も、付き合い方も変わってきて、どうにかすれば縮められることもあったり、その方法を行使したりできるようになってくる。
でも、子供の頃って、どうしようもなくそれに対しては力が及ばない。
それは、この後の作品にも、何度も登場する不条理なように思います。
新海さん、なんでそんなにまで、二人を離したがるんですか?
普通にちょっと、辛いです。
◆雲のむこう、約束の場所
イベントの一番最後に『言の葉の庭』を見るまでは、暫定一位だった『雲の向こう、約束の場所』です。
なんでかって佐渡佐由理ちゃんがめっちゃ可愛いからです!
『ほしのこえ』とのギャップももちろんありますが、佐由理ちゃんの描写がすごくいいです。動きが。
いわゆる平穏できらきらした日常パート部分での彼女の動きに、フェティシズム的なものを感じました。
「女の子のこういう仕草とか動きってかわいいよね」という部分がよく描かれていると思うのです。
と、ヒロインの佐由理ちゃんだけで見る価値があるこの作品ですが、『ほしのこえ』に続きSFです。(私の中では)
戦争を取り扱っている話でもあり、飛行機がビュンビュン飛んでいるところの描写はこれまた凄いです!
この後どんどん新海さんの作品は日常ものになっていきますが、飛行機とかロボットがミサイル飛ばして、背景にでっかい空や宇宙が写り込んでいる……という作品が一番実はやりたかったりするのでは、とつい思ってしまいました。
ただ、夜空と空には、間違いなく何かこだわりのある方なのではないかと思います。
「ユニオン」に占領され「蝦夷」と名前を変えた北海道。
南北は分断され、立ち入ることができなくなった土地にそびえる謎の「ユニオンの塔」。
それは天高く宇宙まで伸びているのではないかというほどのもので、日常風景に同化し、あらゆるものの象徴となっていた。
その塔に憧れ、真っ白な飛行機を組み立てる藤沢浩紀と白川拓也。
そして二人の想い人であり、一緒に塔まで飛ぼうと約束をした佐渡佐由理。
今回の「距離」は佐由理の「眠り」。
ユニオンの塔は実はとんでもない兵器で、それと対になってしまった佐由理は、3年間眠り続けている。
ここで、「平行世界」というちょっとむずかしい概念が出てくるんですが、それをぶっ飛ばして説明すると、佐由理が目覚めると塔を中心に世界が書き換わってしまう、というのです。
佐由理は「全てが滅びた世界」に一人きりで閉じ込められている。
それが佐由理が見続けている夢であり、その夢こそが、佐由理が目覚めた時に書き換えられる世界の情報=姿である。
と、解釈しました……。汗
佐由理は、約束の夏休みの前に睡眠障害を発症し、浩紀達には何も言わず(言えず)突如いなくなります。
浩紀達はその喪失感で目的を失ってしまい、ついに飛行機は完成せず、互いに離れ離れになってしまいます。
没頭できる研究に出会い、ひたすらそれに打ち込む拓也と相反するように、喪失感をむさぼるように生活する浩紀。
まさに新海作品の男主人公の王道を突っ走るわけですが、そんな中でも、佐由理が見続ける「孤独」な夢にほんの少しだけアクセスしていた彼の前に、天啓のように現れる手紙。
佐由理が入院後、ほんの僅かに覚醒していた時期に浩紀達に宛てたものです。
そこから彼は、佐由理の病院に辿り着き(すでに移送後なのですが)そこで、佐由理と「再会」を果たします。
それは、白昼夢とも思える「佐由理の夢に一瞬アクセスする」というものでした。
佐由理が「孤独」に一人きりで耐えていることに気づいた浩紀は、あの「約束」を果たすために、飛行機を飛ばそうとするのです。
これも結局、ハッピーエンドじゃないんですよね。
浩紀と佐由理の距離が、最大に近づいたのは、夢のなかで再会した時で。
約束を果たした飛行機の上で、佐由理は目覚め、孤独から開放される代わりに、大切な、大切な想いを「なくして」しまいます。
一瞬だけでもいいから、この想いを伝えさせてくださいと、一生懸命神様に祈るけれど、佐由理は結局、浩紀の名前しか呼べない。
でも。彼女が帰ってきてくれたからそれでいい、と浩紀は言うのです。
再会と喪失の中、三人の繋がりの象徴でもあった白い塔は、爆破され消えていきます。
抜けるような青森の空に、いつも細く果てしなく伸びていた白い塔。
その描写は、何度も何度も登場するのですが、一番最後に映る空には、それはなく。
ただどこまでも青い空が広がっているのです。
やっぱり「孤独」が出てきます。
今回はより分かりやすく、「一人きりで誰もいない世界に取り残される」佐由理を救う、という構図。
結局、みんな失っていくけれど、でも、私はまだこれはハッピーエンドとして捉えることが出来ました。
痛いけど。
佐由理は、あの真っ赤に染まる放課後の廊下のことも、三人で飛行機を作ったことも、音楽室のバイオリンのことも、全部忘れてしまう。
でも、浩紀は覚えてる。
最後に二人、物理的な距離だけは取り戻すことが出来た。
心が片方なくなってしまっても、もしかしたら、また同じような気持ちを取り戻すことはできるかもしれないから。
ああでも、やっぱり辛いよ。新海さん。
◆秒速5センチメートル
これは、漫画で事前情報がありましたから、正直あんまり見たくなかった笑
もう、辛いのが目に見えてるんだもん。
『秒速5センチメートル』は女の子ウケしない、という記事を何度か目にしました。
それと同じように、男性目線からも、女と男の違い、的な論争を生んだ作品のように思います。
そして私は、やっぱり遠野貴樹があんまり好きになれませんでした。
男性特有の女々しさと言ってしまえばそれまでな気もするし、過去にとらわれて前に進めない奴、という見方もできるだろうし、一途な想いと喪失感に蹂躙され続けた人、という言い方もできるだろうし。
ただ、なんでしょう。なんかモヤモヤが残る。
「もうちょっと、なんとかならなかったのかな?」です。
でも、今日はちょっと違ったことも考えます。
篠原明里も明里なのかなぁ、なんて。
でも彼女の選択は、やっぱり女だなって思うし、ただ、一度でも会いに行った貴樹に対して、彼女はどうだったんだろう。と。
漫画と小説だけでは、二人の分断された時間の情報がなさすぎて、なんとも言えませんね。
そう、なんだろう。明里という存在が殊の外希薄な気がします。
貴樹が抱く「明里」は色濃く存在し続けるのに対し、実態としての「明里」が、ほとんどない。
小学生と、中学一年の明里だけで。
心に余裕ができたら、小説読んでみようかな。明里サイドの話も読めるみたいだし。
なんだか『冷静と情熱のあいだ』みたいですね。
澄田花苗のお話が、一番好きです。
この作品で孤独だったのは、貴樹だったのかなぁ。
最後の最後に、彼は前に進めたんでしょうか。私には、ちょっと分かりません。
キャッチコピーの
「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。」
貴樹の生き方、私は速度を感じませんでした。
◆星を追う子ども
まさかこの夜4作目にして2時間の大作が来るなんて予期しておらず、精神的ダメージを受けましたが、眠らずにきちんと見れました!
これに関しては……。おおお!?というのが大きすぎて。
明らかにこれまでとは異質な作品です。
新海さん特有の主題は一貫して感じられるのですが、なんというか……ビジュアルが。
ジブリオマージュが……。
「孤独」はやっぱり描かれており、渡瀬明日菜が後半ではっきりと「私寂しかったんだ!」と叫ぶくらいです。
生と死というテーマも掲げられており、少女の成長も描かれており、なんというか作法に則っている感じでした。
これに関してはあえてそうしていったということはあるようです。(Wikipediaより)
アクションも多めで、地下世界を旅するワクワク感は終始感じることができました。
が、なんでしょう……。やっぱり違うものを見た感は大きかったです笑
余談になりますが、「アガルタ」という世界が登場します。
『ほしのこえ』にも惑星として登場するのですが、私にとってアガルタといえば『魍魎戦記MADARA』なんですよね……。
そちらにも胸をはせた作品でした。
◆だれかのまなざし
たった7分で、傷ついた(笑)心を癒してくれました!
これは視聴可能なので、ぜひご覧ください。30秒付近から見ると良いと思います!
あーちゃん、可愛い。
◆言の葉の庭
いよいよオーラスです。
最新作『言の葉の庭』です。
一番好きでした。さっき、検索していろんな解釈を見てちょっと興が削がれたところもありましたが、それを差し引いても、やっぱり良かった。
雨の日の新宿の庭園。
靴職人を目指すタカオは、雨が好きで、雨の日の1限はきまって授業をサボりデザインを考えていた。
そこである日、昼間からビールを飲んでいる女性、ユキノに出会う。
それから始まる、雨の日の午前だけの逢瀬。
ユキノちゃんがかわいい。もうそれだけで私はこの作品好きです!
すみません、仕事柄もありますが、女の子好きすぎるよ私……笑
とはいえ、ユキノは27歳と、新海作品では最年長ヒロイン。そして主人公は15歳の高校生。
今回の距離は、この年齢も一つのアイテムなのかな、と思いました。
そして、二人は雨の日にしか逢えない。
今、この携帯端末での交流が当たり前な時代に、流れに逆行するように制限された交流。
そういういえば、新海作品には決まって手紙が登場しますよね。
『秒速5センチメートル』は顕著ですが、『雲の向こう、約束の場所』でもそうでした。
この作品でも、最後には手紙が登場します。
なんでメールじゃないんだろうっていうのはご都合主義でも野暮な話でもなくて、そういう「距離」なんでしょうね。
みどころはたくさんありますが、まずはタカオがユキノにお願いして、足の採寸をさせてもらうシーンでしょうか。
降りしきる雨の中、静かに形の良いユキノの足を採寸していくタカオ。
すこしセクシャルで、でもとても美しいシーンです。
ああ、靴作ってあげるのかな、あげちゃうのかな、履いちゃうんでしょ!と否応なく期待が高まります。
梅雨のお陰で毎日のように会っていた二人が、梅雨明けのせいでしばらく会えなくなる。
そして夏休み明け、ユキノの正体が判明し、物語が大きく動き出す。
初めて出会った時にユキノが残した万葉集の歌「雷神(なるかみ)の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」 。
晴れた庭園で再会する二人、そしてユキノに返歌を返すタカオ。
「雷神(なるかみ)の 少し響(とよ)みて 降らずとも われは留らむ 妹し留めば」
雷が鳴らなくても 雨が降らなくても君が引き止めてくれたなら 僕はここにいるよ、という意味らしいです。
そして土砂降りの雨。ユキノのマンション。
服を乾かすユキノと夕食を作るタカオ、二人が今が一番幸せだと思う瞬間。
そこで、タカオはユキノへの好意を口にします。
ユキノちゃん、赤くなるんだけど……。一歩引いた言葉を紡いでしまう。そして自分は、四国へ帰ると。
生徒にいじめられ、味覚障害になって、学校へいけなくなって、同僚との不倫もあり。
うまく歩けなくなっていた彼女でしたが、タカオのおかげて靴がなくても歩けるようになった、と。
ありがとう、と。
でもまぁ、ユキノのために、彼女がもっとうまく歩けるようにと靴を作っていたタカオからすればたまったもんじゃないですよね、こんなこと言われたら。
ユキノとしては、辞めたとはいえ教師という立場上のものはあったんでしょうが、男の子からしたら拒絶でしかなくて、こんないい感じなのにまさかそんなこと言われるなんて!ってなりますよね……。
すぐに着替えて、帰ってしまうタカオ。それを引き止められず、泣き出すユキノ。
ああ、マジかぁ……またこれかぁ……。と、私、激落ち。
なんかこれはいい感じで終わるんじゃないかって、期待してたのに。
しかし。
泣きながらタカオの事を色々と思い出すユキノ。
そして。
……はっと立ち上がって、部屋を飛び出すんです。
この瞬間、私テンション急上昇。
やばい、これは、この展開は!頑張れユキノちゃん、走れユキノちゃん!
裸足で部屋から飛び出して走って行くんです、彼女。
(ここで裸足なのは、彼女は靴が必要ないからだと新海さんがオーディオコメンタリーで言ってたという書き込みをみたんですが、ほんとなのかなぁ…。でももう、それならそれでもいい)
途中転んじゃって、でもそれでも頑張って走る。この描写がまたいいんですが。
すると、いるんです、タカオ。
踊り場で、外を眺めながら。でもね。
振り向いて、「さっきのは忘れてください」って。
そこから畳み掛けるように、怒りを爆発させる。
でもそれが15歳なりの痛々しい叫びで。彼は、やっぱり裏切られたって思ったのかな。
確かにユキノは大人で、優しくしてたけど付き合う気とか、あるわけないと思うんですよ。
12歳も下で、しかも自分はこれから四国に帰る。いい感じでさよならできると思ってたんじゃないかな。
でもタカオはもうどうしようもなくユキノに惹かれていて、彼女に履いて欲しくて靴を作っていて。
そういうのがもう全部、うわーーって出てくるんです。
ここで私、再び傷つく……。
絶対ハッピーエンドだと思ったのに、まさかここで落とされるとは……。
が。
ユキノちゃん、ダイブ。
タカオに、思い切り抱きつくんです。
ユキノも、感情が溢れだしてしまったんですよね。立場とか、そういうのもう超えちゃって。
そして辛かった想いを切々と語り、最後に「癒やされていた」と。
そう、癒やされていた、と。
そうか……。癒やされていた、なんだ……。
いや、もういいとします。これ以上は望まないです。
それからユキノは当たり前に四国に帰り、教壇に再び立つのです。
そしてタカオの元には、手紙が届くようになる。
タカオは靴を完成させる。
二人共歩く練習をしていたんだと、あの雨の日々を回想し、もっと遠くまで歩けるようになったら、ユキノに会いに行こうと、タカオは思う。
教壇のシーンで、ユキノにはタカオの靴を履かせるべきだった!論争や、これはハッピーエンドだ、そうじゃない論争などいろいろ見ましたが。まぁ、どうなんでしょ。
とはいえ、タカオくん15歳だしね。ユキノちゃん27歳ですし。
ここから恋に発展するっていうのもなんだかなぁって気はするんですよね、現実的に。
物語の純度としては、こうすることであの雨の日々が特別なものになる気は、します。
だからこれでよいのだと思いますし、タカオくんがもっと遠くまであるけるようになったら、きっと二人は出会うんだろうし。その時のことはまた、その時のことです。
とはいえ、ね。
やっぱり、人はハッピーエンドを求めているんだということは、痛いほどに、それは痛いほどに感じました。
勉強に、なりました。
◆イベントを終えて
さて、昨晩6時間超の時間を、新海作品と過ごした結果、私は今日という一日を、棒に振りました。
綺麗なだけで内容がないとかいう人もいるみたいですが、十分に濃い作品ばかりだと私は思います。
そしてそれをこんなにまとめてみたら、もう頭がぐっちゃぐちゃになり、物語の世界に持って行かれて、結果、呆けるのです。
ふとこれまでの人生を振り返って、劇場で泣かなかったくせに、めそめそ声を出して泣き出したりするのです。
どうして、ロボットから始まって、新宿の庭園に行き着いたんだろう。ずっと考えていました。
光年の距離、到着まで8年かかるメールから、雨が降れば会える距離になったのだろうと。
圧倒的無力さを感じざる負えない、徹底した分断。
その中で「想い」と「孤独」だけを純粋に抽出したような初期作品から、「二人」の距離はどんどん近くなっているように思います。
「想い」と「孤独」の隣に日常が寄り添う。そんな作品になってきているのは何でしょう。
リアルの追求? 大衆への迎合? 嗜好の変化? ものづくりのしがらみ?
ものづくりは資本と結びついて規模が大きくなった時に、どう変わっていくのだろう。
たった一人で、一台のPCで『ほしのこえ』を作り上げた新海誠は、今何を思って作品を作っているんだろう。
いいから背景に専念して、他の部分は専門家にやらせれば、という意見を今日何度か目にしました。
消費者というのはわがままで、自分の望む形のそれが生まれることを望みます。
ほしいものをほしいという。
新海誠のつくるビジュアルは好きだけど、お話はどうかな、みたいな人達が今、確かにいるということ。
それに対しての新海さんのスタンスと信念は、どんなものなんでしょう。
人にさらされるものづくりの難しさを、考えました。
新海さんは未だ自分の手元に多くを残しながら制作をしている。
批判もあるし、結果描ききれないこともあるのでしょう。
でもそれは、新海さんの戦いなんだと思います。
「新海誠」としてあるための、大切な、たった一人の闘争なのではないかと、思うのです。
それが、新海誠が「孤独」を描く理由だったり、するのではないでしょうか。
なんて、うそぶいてみます。
願わくば、どこまでも広がる青空を、飛行機がビュンビュン飛ぶような作品を、また見たいものです。
私が、純度が一番高いと思ったのは『雲のむこう、約束の場所』でした。
ここまで読んでくれたあなた、有難うございました。