『私の男』を、見ました。

大好きな桜庭一樹先生の作品の中でも、特に好きな『私の男』が映画化するということで、楽しみにしていた綾瀬です。

ここで『私の男』について描いた記事を! ……と思ったら、描いてないじゃないですか私。何たる段取りの悪さ……。

すごく書いた記憶があったのですが、この記事でチラリと触れているだけでした。

『ホテルローヤル』-桜木紫乃- を、読みました。

 

見なければ見なければと思っているうちに時間が経過し、調べてみたら……。
もうほとんどロードショー終わっているではないですか!!

急いで、スケジュールを調整して、急遽上京してきた綾瀬です!
そして、昨日なんとか滑り込みで鑑賞してきたのでした。

『私の男』

 

感想。ですが。
一晩たって落ち着いたので書こうと思うのですが。

あ、ここからは久しぶりにネタバレ込みでいきますのでご了承ください。

 

 

ええと。

 

私、このブログで初めて、批判します!!

 

 

圧倒的なコレジャナイ感……。

何でしょうか、おすすめポイントといえば、「二階堂ふみちゃん可愛かったよ! 体当たりだよ! ふみちゃんの裸……裸きゃーー!!。」

くらいですかね。

 

久しぶりに映画見て消化不良になりました。

これじゃあただの悪口なので……。
なるべくきちんと書こうと思うのですが。

 

まず、一番思ったのは、原作を読んでない人がどう感じたのか? です。

 

私は原作を知っているので、その上での納得いかなさがあるのですが、一緒に行ってくれたお友達の意見をまず聞いてみたところ。

 

「久しぶりにつまらない映画見て、お金損したと思った。」

 

でした……。

やっぱりそうなのか、と。

 

ええと、主題が全く見えないんですよね。

結局何が伝えたかったのかが分からなくて。

原作でそれほど描写されていなかったシーンをやたらと濃く取り上げたり、映画版の解釈で追加されたシーンが全く生きているように感じられなかったり。

 

なんだか無駄に軸だけぶらされて、骨抜きにされたような印象。

 

 

もう一つは構成。

原作ものが映像化されるに辺り、構成が変更されることは仕方のない事だと思っています。
映画には映画のロジックがあるので、原作はそのまま良い脚本とは成り得ない。
だからこそ脚本化という作業が重要になると思っているのですが。

あえて言うのであれば、原作は時系列を遡っていくような構成になっています。
一番最後に、一番古い話が来て……というと少々語弊があるのですが、それでこそ印象的なラストになっている。

映画はそれを、時系列で追っていきます。
なので、原作の最初のシーンでお話が終わるわけですが。

私驚いて、「えっ!?」と劇場で声だしちゃいました。
いいんですよ。別にそのシーンで終わるのはいいんです。

何その描写……。ってのがあって。もう、は……? だったんですよ……。

 

それより何より、時系列でたどるなら、そこ語らなくてどうするの!!ってシーンがまるっまるカット。
そのせいで、小町さんはただの過去の人になっているし、二人が抱え続けてきた2つの殺人の影もまーるで重みなし。
なんじゃこれ……となったのでした。

 

 

そして、淳吾と花の関係。

なーーんかもう、うっそくさくて。

何がって肝心なところのディティールがことごとく落ちてて、なんだか中身の無い「禁断の愛、近親相姦」ってことだけがひとり歩きしていて、リアリティも原作の独特の気持ち悪さを通り越してなんだか神がかってしまった二人の関係も、何も描けてない。

もう、ふみちゃん体張ってる!! しか、ない。

 

ああ、すみませんもうやめますね……。悲しくなってきたので……。

 

国際映画祭で受賞もしたようですが、とにかく私の感性とは合わなかったようです……。

正直に、楽しみにしていただけ、本当に残念な作品でした。私としては。

 

ただ。
原作、桜庭一樹先生の『私の男』は、ほんとうに素晴らしい作品だと思います。
直木賞受賞作でもありますが、その看板に勝るとも劣らない内容です。

ぜひ、手にとっていただけたら嬉しいなと、一人のファンとして、思います。

映像化、ってやっぱり難しいんですね。
「小説は最も高尚な表現だと思う」という友人の発言を反芻した夜でした。

それではもう一度最後に。

原作、『私の男』綾瀬みうは心から推薦いたします。


『ボーイ・ミーツ・ガール』 を、見ました。

個人的にずっと気になっていた『汚れた血』を先日やっと見ました。

『汚れた血』を、見ました。

この作品はレオス・カラックス監督の「アレックス三部作」との二作目ということでした。

というわけで、三部作の一番初めの作品である『ボーイ・ミーツ・ガール』をこの度見てみることにしました。
「ボーイ・ミーツ・ガール」といえば、物語の一つのテーマとしても鉄板の響き。

甘酸っぱい系だろうか、どうなんだろう……と、今回も事前情報無しのトライです。
ネタバレ含みますので、まだの方はご注意を。
それでは……。

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モノクロムービーをきちんと見るのは初めてかもしれません。
前回感じた、フランス映画特有?(今回二回目なので断定はできません)の、静かで叙情的な光景に拍車がかかったようでした。

相変わらず台詞少なめで、「一体今何考えてるんだろう」と想像しながら見ないと、ついていけない感じが、雰囲気を醸し出しまくっておりました。

やはり耳慣れないフランス語、字幕を追いがちになるのですが、字幕の文字が非常に詩的で……。
字幕のスピードで読むには少々難解で、苦労しました。

そう、前半、何が起こっているかよく分からず!!
ストーリーに説明的な場面は一切ないので、五感を研ぎ澄まして見ないと理解できないのでした……。

よく言えば雰囲気たっぷりなのですが、日中から見る映画ではなかったなとちょっと後悔。
ともすると、だらけた感じも受けてしまうバランスというか、好みは分かれそうだなぁ……と思います。

もう寝るだけ! という感じで、ゆったりお酒でも飲みながら見たい感じです。

全体的に、艶っぽいというか、湿っぽいというか……。
何かいい言葉はないだろうかと思っていたのですが、思いつきました。

文学的!!!

語弊があるかもしれないですが、まさに文学作品のあの雰囲気をそのまま映像にしたような感じ。
台詞が少なく、俳優の仕草や動きだけのシーンが多いのですが、まさしく地の文や行間を読んでいる気分!!

ちょっとスッキリしたな、と思いながら。
なるほど、感性を研ぎ澄ましながら見ないと体に入ってこないのかなぁと、今回さら実感しました。

これがレオス監督作品の特徴なのか、フランス映画の特徴なのかは分かりませんので……。
今後も勉強します。

全体的に台詞少なめなわけですが、ラブシーンというか、愛の言葉を語るシーンは熱い。
フランス語でまくし立てるわけですが、一気にがーーーっといくと、あんな感じになるんですね……!
必死で字幕を追いながら、フルスロットル状態のフランス語を聞いていると、なんだか変に高揚しました。

こういう静と動みたいなところがよいのでしょうか、フランス語。

全く内容に触れていないのですが、何故かって……。
すっきり説明できる自信がないのです。この作品を。なので下手に触れることを諦めました。

ただ言えるのは、鬱屈した孤独とか、閉塞感とか、その中で何かを求めてあえいでいる感じとか……非常にアーティスティックだなと思いました。
音楽が好きな人や、物書きの方には向いている気がします。

そして。
私が思い描く、ボーイ・ミーツ・ガール感はなかったです……。
甘酸っぱい系では、けしてありませんでした。

最後にズドンと落とされ、「寝る前に見たい」という途中の感想も見事吹き飛ばされ、今、少々凹んでおります。

改めて、「何も予定がない土曜日」に見たい作品です。
精神状態的には、翌日の日曜日を気持ちのリカバリーに当てられるように……。

曲名を映画のタイトルからよく持ってくることでお馴染みの、ART-SCHOOL。
『汚れた血』もその影響で見たのですが、『ボーイ・ミーツ・ガール』もありました。

BOY MEETS GIRL (LIVE) 【ART-SCHOOL】

聞いたら、好きな曲でした。笑
タイトルをちゃんと覚えていなかった……。

例のごとく、インスピレーションを受けた書いたとは断定できない歌詞感ですが、一緒にチェックするとまた何か見えてくるかもしれませんね。

次は「アレックス三部作」最後の『ポンヌフの恋人』かな!
レオス監督以外のフランス映画も見てみたい気もしますが……。笑


『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』 を、見ました。

師匠の宿題シリーズ-映画編-の第三弾!!
今回は『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』です。

前回はこちら

まったく事前情報無しで見ましたが、とっても良い映画でした。
さくっと感想行きますね!

ネタバレがあるかもしれないので、まだの方はご注意を……。

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グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち -yahoo!映画-

登場人物の心情に、とても丁寧にスポットを当てた作品だな、と思いました。
アメリカ映画って、ダイナミックで展開も劇的で……という勝手なイメージがあるのですが。
二人きりの対話シーンがメインで、静かに見ることが出来た気がします。

トラウマから、けして心を開こうとしない主人公ウィル。
その心を開こうと必死になる登場人物たちですが、ただでさえ一筋縄でいない心の傷を、持ち前の天才的頭脳でガードするものだから、周りは振り回されまくり。
もう、いろんな人を煙に巻く煙に巻く。
拗らせた頭脳派ほどめんどくさいものはないなぁ……と思いながら見ておりました。

彼の才能を活かすために、なんとか閉ざされた心を開こうと奔走するランボーが呼ぶカウンセラーはことごとく全滅。
最後に頼ったのが、旧知の友人ショーン。

私のこの時点での予想は「頭が良すぎてどんな手も通じなそうなウィルを、ショーン先生が手のひらで転がすように優しくやり込めて心を開かせていくんだな!」でした。

が。

そんな簡単じゃありませんでした……。
ショーン先生、長年の経験則と彼の実力も相まって、ウィルとしっかり距離を詰めていけるのですが。
ショーン先生も「完璧」ではないんですね。

そこをウィルに付け込まれたり、あと一歩詰め切れなかったりと、苦戦します。
もちろんウィルの心にかかった鍵が、とても複雑で根が深かったから、というのもありますが。

とは言え、徐々に心が溶け始めるウィル。なんとなく順調そうに見えるのですが、問題が。
彼の方向性について、ランボーとショーンが対立するのです。

元々学生時代から、色々あったという二人。相入れません。
先を急ぎたいランボーですが、ショーンからすればまだウィルの肝心な部分に踏み込んでいない。
そこがクリア出来ないままで物事は大きく動き始めてしまい、結局、破綻をきたします。

ウィルったら、いい感じだったスカイラーにはひどいことしちゃうし、面接はぶっ壊しまくるし……。
あ~あ、って感じなのです。
それもこれも、彼が自分のトラウマゆえに、全てを拒絶しているから。
けして自分の腹の中を明かそうとしないんですよね……。

一番深いところの氷が、まったく溶けないウィル君。
でも、掴みかけているショーン先生。

このあたりから、彼の大きさがじわじわと大きくなってくるんですよ……。
ショーンも、ウィルと同じような境遇であったことも大きいと思うのですが。
まるで息子に語りかけるようなショーンのぶつかり方が、やっぱりウィルに刺さったんですよね。

ショーン自体も深い傷を追っており、それをさらけ出すようにウィルと向き合う。
もちろん、ウィルはなかなか腹の中を語ってくれないんですが、ショーンの丸腰スタイルが、とっても素敵で。

ウィルはずっと孤児だったので、ショーンに父親を見ていたんじゃないかなぁ、と思ったり。

ランボーの弱さも、描かれているところが良かったです。
一見彼も、大人の余裕と完璧さを持っているように見えるのですが、一皮むけば不安に押しつぶされそうになっていたり、自分の考えに固執したりするところがある人物だった。

「まだ子供」のウィルを取り巻くランボーとショーンが、模範としての大人というよりも、もっと生身の人間として描かれているのが良かったです。

そして、あと一歩のところをググっとウィルの背中を押す、悪友のチャッキー。
実は一番いい仕事してるんじゃ? というところもありました。笑

工事現場での二人の会話。これがとにかくいいです。
一番近くにいたからこそ、ウィルの才能と可能性を誰よりも理解しているんですよね。
あんなかっこよくもニクい「さっさと出て行っちまえよ」的セリフはなかなかないんじゃないかと思います。

ウィルの心の鍵を、とうとう開けるショーンとのシーンも圧巻でした。

親友は? とショーンに尋ねられてウィルが煙に巻く場面があるのですが。
ショーンとウィルは最後に親友になるんだろうなぁって思っていました。

しかし。

私の感想としては、やっぱり「親子」かなって思います。
ウィルは最後に、失った「父」と「家族」を取り戻したんじゃないかなぁ、と勝手に思いました。

でも家族を取り戻すっていう意味では、これからなのかな。
スカイラーときっとこれから紡いでいく愛があるんでしょうから。

チャッキー達の最後のシーンも良かった。
なんだか、希望が凝縮したような絵だった気がします。

「人間ドラマ」というキーワードをもらっていたのですが、まさしく。と言った感じです。

脚色された「キャラ」はいなくて、本当に人間同士のぶつかり合いだったなぁ。と、思いました。

良い映画でした!
そして、こんなに「f○○k!」が出てくる映画も初めてみました!
生のアメリカっぽくて、良かったです……。笑


『ニュー・シネマ パラダイス』を、見ました。

師匠の宿題シリーズ-映画編-の第二弾!!
今回は『ニュー・シネマ パラダイス』という映画です。

もちろんこれも事前情報無し。
「これで人生を学べ」という師匠の尊敬するスーバーエグゼクティブプロデューサーからの受け売りだけが、私の知識でした。

三時間近い長さ……ということだけが私の腰を重くしていましたが、レンタルの返却日だ!ということで早朝からじっくり拝見しました。

それでは、ネタバレも含みつつ感想を……。
まだの方は、ご注意くださいね。

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まず私の第一声は「今度はイタリアか!」です。
昨日見ていた『汚れた血』がフランス映画だったので……。ヨーロッパ漬けですね。

『汚れた血』を、見ました。

でも、汚れた血がちょっと難しかったところもあり、今作はテンポと構成が分かりやすくて、するする見れました。

ニュー・シネマ パラダイスはWikipediaさんによると、3つのバージョンがあるらしく。
私が見たのは最長の、「完全オリジナル版」(DVD表記)で173分でした!

見るバージョンによって映画の意味合いが変わってくるらしく、余裕があったら他も見てみたいな……。

本作はいくつかのバージョンで発表されている。日本では173分版と123分版が公開・ソフト化されている。
173分: 「ディレクターズカット版」、DVDでは「完全オリジナル版」
155分: イタリアで上映された「オリジナル版」
123分[1](124分[2]とされることもある): 国際版、「劇場公開版」、DVDでは「SUPER HI-BIT EDITION デジタル・リマスター版」
ニュー・シネマ・パラダイス-Wikipedia より-

というわけで、二時間半以上この映画を見ていたわけですが、さすがにちょっと長かった……。
途中ダレた気もしたのですが、後半でグッと盛り上がってきて(私が)ラストシーンでは、そんなこともすっかり忘れていたのでした

映画監督として活躍していたサルヴァトーレの元へ、「アルフレードが死んだ」という一報が入るところから物語は始まります。

そこから「トト」(サルヴァトーレの幼少期の呼び名)の成長と、アルフレードとのエピソードが描かれていきます。

トトの住む辺鄙な村には、「映画」しか娯楽がありません。
映画館には村人が集まって、様々な人間模様と彼らの熱狂が渦巻いています。

アルフレードはその映画館の映写技師。
映画に魅せられたトトは、映写室に忍び込み、つまみ出されたり可愛がられたりして、成長していきます。

アルフレードの事故をきっかけに、映写技師の仕事はトトへ移り、青年になったトトは大恋愛に落ち……。

とまぁ、そんな感じなんですが。
そこで描かれるトトとアルフレードの友情とか、トトとエレナの大恋愛とか、イタリア語で綴られるそのストーリーは大変素晴らしかったのですが。
関心は、村を出て大成功したサルヴァトーレと、村での生活をつなぐ糸でした。

冒頭で「30年も村に帰っていない」ということがサルヴァトーレの妹の口から語られるのですが。
そこに至るのに、一体何があったんだろうなと……。

随所で散りばめられるアルフレードの言葉。
子供、青年のトトにはいまいち響かないのですが、アルフレードは語り続けます。
いつか分かる、と言いながら。

アルフレードの視点は常にトトの先を見据えていて、小さな村にいながらにして別の所を見ているような人でした。

親の言いなりとしての子供、徴兵という圧倒的な別れの必殺パターンで失意の日々に放り出されるトトは、アルフレードの言葉でついに村を出るのです。

そして、アルフレードの葬式に会わせて帰郷し、30年ぶりに村を見渡すサルヴァトーレ。
ビデオやテレビに駆逐されて、営みを辞めたニュー・シネマ・パラダイス座。
近代化が押し寄せる村ですが、あの頃の人達は老いこそすれ昔のままでそこにいます。

何かを確かめるように、村を見渡すサルヴァトーレ。

そして、エレナとの再会。

サルヴァトーレが村に帰った辺りから、色んなことがつながり初めて、ちょっとダレていたところもある私の心はググっと引き込まれ始めました。

「長い間帰ってくるな」と言い聞かせたアルフレードの言葉通り、サルヴァトーレは30年村に戻らなかったわけですが、帰ってきたサルヴァトーレの目に写った風景は果たして何を想起させたのか?

アルフレードは色んなものが見えていたからこそ「帰ってくるな」と言ったわけで、ここにいてはサルヴァトーレにとって良くないと思ったからこそだったのだと思います。
全てを断ち切っていけと、アルフレードは言ったのだと思います。

村に戻ってサルヴァトーレが見たものは、アルフレードが断ち切れと言ったもので、見せたくないものだったのではないだろうか、と。

それが顕著なのが、エレナとの再会だと思いました。
エレナはもう結婚していて、青年期のエレナそっくりの娘もいたりして。
しかも相手は幼少期青年期の悪友だったりして……。

そして二人は出会ってしまうんですよね。

運命の悪戯とも言えるすれ違いと誤解を埋め会い、一気に距離を縮める二人ですが……。
二人の見ているものはやはり違っていて、取り戻せると思うサルヴァトーレと、もう終わったことだと言うエレナ。

ここに男女の違いがはっきりと現れていると思うんですが、それはひとまず置いておいて。
アルヴァトーレは、巻き戻してはいけないものを巻き戻してしまったんじゃないかなぁ……。と。

なんだかだんだん悪い方向に向かっている気がする。もう時間少ないのに!(長すぎたのでどうしても時間見てしまって。笑)

と思ったらやっぱり、それっぽいことを言っちゃうわけですよね。止めとけばいいのに!
だって女はそこで、絶対うん、って言いませんから!!

なんとなく『グレート・ギャッツビー』を思い出したりして……。

『華麗なるギャツビー』 を、観ました。1
『華麗なるギャツビー』 を、観ました。2

するとやっぱり言われちゃうわですよ。昨日が「最高のフィナーレよ」と。

こっから、どうオチをつけるんだろうと、私は正直分からなくなりました。
サルヴァトーレは、やっぱり帰ってきてはいけなかったんだろうか? と。

ですが。

アルフレードが、形見に残したフィルムがあって。
これを最後にサルヴァトーレは一人で見るのです。

そのまま、映画は終焉を迎えるのですが……。

実はそっと立てられていたフラグが回収されて。
アルフレードの深い愛が滲み出し、サルヴァトーレは何かを見つけ……。
そしては私としては、再会の日の夜のことも、決着が付いたのです。

まさしく「最高のフィナーレ」だったんだなぁ、って。

それにしても、サルヴァトーレとエレナを見ていて思いましたが。
心から愛し合った人達が結ばれると、けして最高の結末が待っているわけじゃないんだろうなぁ…って思ってしまうところが、なんとも寂しいですよね。
世の中そんなものなんでしょうが……。
特に、成功する男性と、恋愛って必ずイコールにならない感じって、やっぱりありますよねぇ。

エレナも言っていますが、この二人が結ばれたら、サルヴァトーレの成功はなかっただろうし。
でもサルヴァトーレは満たされていないという……。

アルフレードの言葉が、とっても刺さりました。

すっごく良い映画でした。
まさしく、人生。


『汚れた血』を、見ました。

『テラビシアにかける橋』を、見ました。から始まった、師匠の宿題シリーズ-映画編-ですが。
レンタルのついでに、前から気になっている映画を借りました。

『汚れた血』です。

『汚れた血』-シネマライズ オフィシャルサイト-

私の好きなART-SCHOOLのインディーズ時代の楽曲に、同名のものがあるのです。
そういえばこんな記事書いてました。

『MEAN STREET』- ART-SCHOOL – を、聞いてます。

私が知るかぎり、『SONIC DEAD KIDS』というミニアルバムがインディーズの1stのはずなんですが、これに『汚れた血』が入っています。

好きな曲だったので。映画のことが歌詞世界に反映されているのかな、って思ったりしていました。
リピートで聞いていますが、直接的なオマージュは特に読み取れませんでした。笑
きっと何かしら感性的な部分で反映しているんでしょうかね。もっと聞いてみようかな。

というわけで、感想……。
今回はネタバレ、含まなそうな気もしますが、保証はできませんので、まだの方はご注意ください!!

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初めてフランス映画見ました。

そもそも映画自体もあまり見れていなかったし、洋画にも慣れていない私は、正直戸惑いました!
古い映画ということもあるのかもしれませんが……。

なんかこう、のぺっとしているというか……。
あ、静か! そうですね、静かなんですね。
淡々と、流れていくように美しいシーンが連なっているというか。

アメリカ映画って「ハリウッド脚本術」的な黄金率があって、こうメリハリがあるし、展開の必勝パターンだったり常套句があって。
なんというか見やすいんですよね。

それと比べると、ちょっと、難しかったかな……。
静かにウイスキーでも飲みながら、反芻するように見るのがいい気がしました。
思いっきりパジャマで布団の上でバランスポールに寄っかかりながら見てしまった……。

あと、フランス語が耳慣れないせいで、全力で字幕を追ってしまったところもあるかな。
英語だったらなんとなくニュアンスわかるので、字幕半分でも見れるのですが。

なんだか私の視聴反省になってきたので軌道を修正して……。

まず結論から言うと、良かったです!
最初は上のような理由から、どうやって見たらいいのか戸惑ったところがあるのですが、ジュリエット・ビノシュが演じるアンナが登場した辺りから、グッと面白くなりました!

リンクを張ったシネマライズの記事にもありますが、アンナがボブの前髪を、ふっと吹き上げる仕草がとっても可愛い!!
女の子の仕草フェチの私としてはたまりません!

あと、フランスの男性って、恋に落ちたらあんなふうに女の子を口説くのかしら……と思いました。笑
情熱的で積極的で、なんだかやっぱり文化が違うなと思いました。

とにかく私は、アンナに夢中でした。
アンナを映すときの演出、カメラワークと言えばいいんでしょうか?
それがとても素敵で。

恋するアレックスのアンナに対する視線がとても意識されていたように思うし、まだ少女性を残しつつも艶っぽい白い肌の見せ方とか……。

もう一人登場する女の子、ジュリー・デルピー演じるリーズの、狂った妖精のような魅力も素敵でした。
アレックスは「バイクに乗った天使」と言っていましたが、その神秘的な雰囲気と、一途すぎて少し怖いサイコな感じのアンバランスさがとても良かった。そして可愛い。

おじさま達の渋い演技も良かったですが、女の子大好きな私としては、そこばかり見てしまいました。

ラストシーンの解釈はちょっと難しかったけれど。
アンナの頬に残った血は、何かを残したのかな。
そして疾走。

何に向かって、走っていたのか。今それを考えながらART-SCHOOLを聞いています。


『テラビシアにかける橋』を、見ました。

突然ですが、師匠の宿題シリーズ-映画編-というのが始まるそうです。(人ごと)

「俺が見た映画を綾瀬ちゃんも見て、記事書きなよ」

……以上が、趣旨です。
まためちゃくちゃな事を言い出したなと思う反面、最近実家でののほんとしておりましたので、課題があるのはよいことです!(助かります、ネタ的に)

ということで、記念すべき第一回は『テラビシアにかける橋』です。

なんでこの映画かというと。
師匠の激烈リスペクトする、前社のスーパーエグゼクティブプロデューサーに、オススメを三本聞いて、まずそれから見る!!ということでした。

受け売りですか……というところはグッと胸にしまい、やっていきたいと思います!

それではお馴染み、ネタバレも含む可能性ありますので、まだの方はご注意ください……。

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『テラビシアにかける橋』(テラビシアにかけるはし、Bridge to Terabithia)は、2007年に公開されたウォルデン・メディア製作のファンタジー映画。原作はキャサリン・パターソンの同名児童文学。
テラビシアにかける橋 Wikipediaより

キャサリン・パターソンの同名ロングセラー児童文学を映画化した感動ファンタジー・ドラマ。多感な少年期の主人公が大人びた転校生の少女に気後れを感じながらも、ふたりで森の中に空想の王国をつくり互いの絆を深めていく姿を、ファンタジックな映像表現の中に年頃の少年少女のリアルな心情描写を盛り込みほろ苦くもエモーショナルに綴る。主演は「ザスーラ」のジョシュ・ハッチャーソンと「きいてほしいの、あたしのこと ウィン・ディキシーのいた夏」のアンナソフィア・ロブ。監督は「ラグラッツ」などのアニメ作品の製作で定評のあるガボア・クスポ。これが実写映画監督デビュー。
田舎の町の貧しい家庭に育った小学5年生の少年ジェス。学校ではいじめられ、女ばかりの家の中でも疎外感を抱き、孤独な日々を過ごしていた。そんなある日、彼は隣の家に引っ越してきたばかりの風変わりな転校生の少女レスリーと出会う。裕福な家庭の一人娘で自由奔放な彼女とジェスは何もかも対照的だったが、次第に仲良くなっていく。やがてふたりは小川を越えた森の中に分け入り、そこでふたりだけの空想上の王国“テラビシア”をつくり上げ、王と王女として君臨して冒険に満ちた楽しい時を過ごすようになるのだったが…。
テラビシアにかける橋 allcinemaより

田舎町の貧しい家庭で育つ小学5年生の少年、ジェス(ジョシュ・ハッチャーソン)。世界のどこにも自分の居場所を見出せないジェスだったが、唯一の慰めは、奇妙な生き物を空想し、それをスケッチブックに描くことだった。ある日、校内の短距離レースでトップを走っていたジェスは、思わぬライバルの出現に大敗を喫してしまう。それは裕福な芸術家夫妻の娘で、転校生のレスリー(アナソフィア・ロブ)だった。第一印象こそ悪かったが、田舎町には珍しい個性的なファッションに身を包み、偏見を持たないレスリーに、ジェスは次第に心惹かれていく。やがて共に遊ぶようになった二人は、森の中にトゥリー・ハウスを発見する。レスリーの導きによって、二人はそこに美しい空想上の王国「テラビシア」を創り上げていく。不思議な生き物と城、美しい自然に囲まれた秘密の王国で、王と女王として君臨するようになる二人。「テラビシア」での冒険を通して、ジェスとレスリーは友情を育んでいく。そしてこの冒険は、灰色だったジェスの人生を虹色に彩り、彼を生き生きとした少年に変えていく。密かに憧れていた音楽教師のエドマンズ先生も、ジェスの芸術的才能に気づいて目をかけるようになっていた。しかし、そんなある日、突然の悲劇がジェスとレスリーを襲う……。
テラビシアにかける橋 KINENOTEより

 

主人公であるジェス君は、姉二人、妹二人の中でたった一人の男の子。
日本の男親なら喜びそうなところですが、女の子は家の事、なーにもしてくれないんですね。
田舎で子供5人、当然ながら貧しいわけですが、お家のお手伝いは全部、ジェス。
パパは妹のメリベル溺愛だし……。

学校にいくと、同級生の二人組は嫌がらせをしてくる。
8年生のジャニスは幅をきかせている。
日本風に言うなれば、芸術肌で草食系のジェス君は基本的に無抵抗。

女系の家族の中での疎外感、学校でも友達と居場所がない……。

そこに転校してくる、ちょっと風変わりな女の子レスリー……。

ここまできたら、この二人絶対仲良くなるわ! と言うのはもう確定ですよね。笑
しかも、第一印象は良くない……という鉄板ぷり。
でも心を閉ざしているのはジェスの方で。これが日本のラブコメだったら女の子の方なんですけどね。笑

二人は、次第に仲良くなって、近所の森で遊ぶようになり、一気に距離を縮めます。
(レスリーがお隣に引っ越してきたというのも、鉄板ですよね。笑)

ここでも、リードするのはレスリー。
彼女は想像力という翼を、ジェスに与えていきます。
その時から、ただ森は、二人だけの王国「テラビシア」へと姿を変えていく……。

そもそも絵ばかり描いていたジェスからすれば、それは難しくない作業だったんでしょうね。
ただ、嫌でも毎日現実を見せつけられる家に育った彼は、心に鍵がかかっていた。
その鍵を、レスリーが開けてくれるんですよね……。

想像力ってすごいよな、と思います。
「テラビシア」を共有していた二人には、同じようにリスが怪物に見え、木が巨人に見えていた。

私にも、そういう時代があったよな、って……。

何気ない帰り道、自転車を止めて、大好きなバンドの曲を聞きながら突然頭の中で始まるストーリー。
その頃を思い出して、ちょっとほろっとしてしまいました。

もう私のところには、意地悪な上級生や同級生もいないし、突然やってきて素敵な事をささやいてくれる転校生との出会いもないのですが、その頃のキラキラした断片のようなものは、きっと心のどこかに眠っているはずで。

それをおもちゃ箱をひっくり返したように、探し求めて、見つかるならば大事に磨いて行きたいなぁと。思いました。

私の中の意地悪な大人な部分は、このまま幸せにはいかないだろうなとか、物語的にはここで何かあるだろうとか、主人公は少年だから、彼に苦悩と成長が訪れるはずだとか思っちゃって本当に嫌なのですが。

ただ実際、創作でも、現実でも、キラキラした物語ってずっとは続かないし、いつか終わるんです。
そして別れがやってきたり、次の場所に行かなければならないような局面が訪れるものです。

それをいくつも越えて行くことが、歳を取るってことだったりするんでしょうね。

「あの時こうしていれば」も、もちろんたくさんあります。
本当に人生って理不尽です。

乗り越えるべきだ、というのは少々暴論だと私は思います。
どうやり過ごすか、どうそれと向き合って、流れる時と生きていくのか。
あんまりうまく言えている気がしないのですが、そういう方が、私は好きです。

そしてその時に、そばに誰がいるか、というのもきっと重要です。
やっぱり人間、一人では、ちょっと生きていけないかな。

別れをこじらすと、新海誠さん『秒速5センチメートル』の主人公みたいになるんですけど。笑
(けして馬鹿にはしていません。)
→ちなみに新海作品について書いた記事はこちら。

ジェス君は、素敵に向き合えたんじゃないかなぁ。

それにしても、海外のお子様ってなんでこう可愛いんですかね!!
レスリー、すっごく可愛かった!!

妄想が日課の人間として、「想像力」の素晴らしさを、再確認出来た作品でした。
「次へ」進むために。私も橋を、掛けて行きたいなと思います。


『赤×ピンク』 を、見ました。

とんぼ返りになりましたが、昨日は急遽上京。

桜庭一樹さん原作の『赤×ピンク』の上映初日兼舞台挨拶に行って来ました。

舞台挨拶というものは人生で初めてで、一体どんなものなんだろうとドキドキしておりましたが……。
非常に素敵で、特別感のあるイベントでした!

主演者の女性陣は、皆、赤とピンクの鮮やかなドレスを身にまとっていて、本当に華やか。
特に主演の皐月役である芳賀優里亜さんと来たらもう!
顔ちっさい!足長い、ほっそい!もう同じ人間とは思えない!
選ばれし女性の威光で、私焼け焦げそうでした……。

でも私の一番の目当ては桜庭一樹さん!
お綺麗でした……!

そして非常に親しみやすいお話方で、ああ、可愛らしい方なんだなぁ……!と感じました!

今回は、芳賀優里亜さんの初フルヌードということも非常に話題だったようですが、その挑戦についての思いや、皆が本当によく話し合って役を練っていったこと、そして現場がとてもよい雰囲気だったことが感じられる、とにかく笑顔の絶えない舞台挨拶でした。

 

そして、本編。

原作読んでおいてよかったなぁ、と思いました。
舞台挨拶でも語られていましたが、原作をそのまま映像化することは難しいのです。
映画には映画のメソッドがありますから、その演出方法に、原作が台本としてそのまま機能することは殆どないのだと思います。

構成が変わったり、新しい解釈やシーン、設定が付け加えていたり、変えられていたりするものです。

ただ、これは中心になる3人の少女(映画では4人)の描写が非常に重要で、坂本浩一監督も、その設定は極力原作に忠実に、を心がけたということでした。

地の文で語られることが多い小説ですから、自分の事を口で語る少女達のシーンが多かったような気がします。
ちょっと説明的ではあったのですが、きちんと彼女たちの背景などが語られていて、良かったです。

小説のその後、も語られていました。
これについては正直賛否両論だとは思います。
私も100%賛成ではないにしろ、全体的にはとてもグッと来ました。

特に、クライマックスの格闘シーンは本当に手に汗握るもので、前に乗り出して見入ってしまいました。
良かった……とほろっとしましたし……。

小説って、やっぱり語らない良さってあるなぁと思っていて。
映画では結構語りきってしまった感もあって。
なんだか少し軽い感じがしたところもありました。

でも、よかったな。熱かった。

桜庭さんが、「最後は小説と同じ終わりで嬉しかった」的な事を言ってらっしゃったのですが。
本当に、そうだったのが。
一番良かったかもしれません。

今回は師匠から誘っていただいたお陰で見ることが出来た上映でした。
きっと師匠も何か言いたいことがあるのでしょうから、私はこれくらいにしておきます。

桜庭一樹さん、大好きだなー。
もっと彼女の作品を読みたいと思いました!!

『私の男』も期待してます!!

 


『赤×ピンク』-桜庭一樹- を、読みました。

明日から映画が公開される桜庭一樹さんの『赤×ピンク』を先ほど読了しました。

久しぶりの本ブログなのですが、相変わらず書評の体を成していないネタバレスタイルで書いていきたいと思います。
未読の方はご注意を……。

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六本木の廃校で夜な夜な行われるキャットファイト、その興行に身を投じる少女達……。

3人の少女達一人ひとりの視点を中心とした、3つの章で構成されています。
その3人の少女は互いに同じキャットファイト「ガールズブラッド」の出演者。

時系列は順番に流れていて、各章で同じ場面が描かれていたりするのですが、章の主人公である女の子の視点で語られるので、片方の子の章では何気ないシーンだったのに、もう片方の子の章では実はそのとき悶々とこんなことを考えていました!というようなことが分かる構成で、とても面白かったです。

普通物語は、主軸となる語り部の視点で語られるので、一面しか見えてこないのですが、本著はそれぞれの少女の見ている側面が集まって物語全体の輪郭が見えてくるような作りでした。

 

それぞれの少女が闇を抱えていて、みんなが、その闇を振り払う方法を知らない。
でもガールズブラッドの檻の中で血を流して戦っているひとときだけは、その闇から開放される。
まるで、格闘技にすがるように、ハマっていく。

最後はそれぞれが、「次」へ進んだなぁ、と思いました。
何かを見つけたように、気づいたように、踏み出したように、闇から半歩出る。

半歩、なんですよね。
全てが解決したわけではない。でも、確実に半歩はその闇からみんな前に進む。

その先に何が待ち構えているかわからない。
でも、行き先が分からなくてうずくまっていた闇の中から、なんとなくあっちなのかな、という行き先めいた光を見つけて、そちらへ進んでいく。

そういう意味で、みんなは救われているのかな、と思いました。

 

まゆ、ミーコ、皐月という三人の少女が登場します。
少女の定義、正直私も曖昧ですが、少女だな、と思います。
みんな大人じゃないから。

まゆはガールズブラッド上では14歳という設定を与えられていますが、彼女は実は21歳。
そのまゆから物語は始まりますが、彼女は最後、ガールズブラッドを去ってしまいます。

でもそれは「檻」という呪縛からの開放なんだなと思いました。
小さい頃から閉じ込められ続けていた「檻」。

自分の力で出れるはずなのに、出れなかったそれの外に出れた彼女は、結局また自分でガールズブラッドという檻に戻っていく。

「居心地が悪いけれどここでしか生きていけない気がする」とまでいう彼女が、最後は自らの足で檻から逃げていく。

自分の力で檻から出るのです。

ミーコは19歳。

「人に合わせる、人の期待に応える」ということに執心した結果、相手が何を望むか手に取るように分かり、完璧にそれに合わせられる子になった。

そうしているうちに家族を失い、自分で欲するということを失ってしまった。
自分がどうしたいのか、まったくすっぽり抜けてしまっている人間になってしまった。

彼女はまゆがいなくなったことを機に、そんな自分について考え始める。
そして選んだ道が「客の物語を完璧に描く」ことができていたSMクラブを辞め、「客が喜ぶ試合運びに専念していた」ガールズブラッドで、自分の好きなように戦ってみる。

その小さいかもしれない一歩で、親から捨てられた15歳の夜から、開放され、生きている感覚を取り戻していくのです。

皐月も19歳。
心が男であることを誰にも言えず、そしてそれが原因で家を出る。
彼女の徹底的な女嫌いも、帰りたいけれど実家に帰れない理由も、全てが逆説的で、自分が男性であることを誰にも打ち明けられずにいた気持ちがこじれてしまっているから。

ただ、千夏という女性の出現により、皐月の心は溶けていく。
自分が男であることを見破られ、そして全てを打ち明けることで、人生をやり直そうと、思う。

家に、帰ろうと、思う。

蜃気楼、とまで言っていた女性を初めて腕の中に抱きながら。

愛されたかったまゆ。
愛することも愛し方も理解できないミーコ。
愛したくても愛せなかった皐月。

これは、それぞれの愛の物語でもあるなぁ。なんて。

そして一人だけ年齢的に大人であるまゆだけが、ガールズブラッドから出て行ったことは、何かを意味しているんだろうか、と今考えています。

みんな、「普通」から比べると変わった人生を歩んできた娘達だけれど、だから闇があるということでもない気がしました。

これは本当に、「女の子」の話で。
全編に濃密なまでに「女の子」が詰まっているお話でした。
「女の子の闇」のお話なんじゃないかな、と今は思っています。

まぁ皐月は男なんですけどね。笑
でも、「女の子」という殻に入っている彼女のお話は、やっぱり。
女の子、が漂っています。

これがどんな風に映像化されるのか楽しみです。
プロモーションを見た限りでは、おそらくかなりオリジナル要素が入ってくるんだろうなと思うので。

どんな「救い」があるのか、女の子たちがどうやって「闇」から出て行くのか、しっかり見てこようと思います。


『赤×ピンク』のロードショーが迫っていた、というお話。

大好きな桜庭一樹先生の『赤×ピンク』の映画化が決定した、という話は聞いていたのですが、なんと10日後の2月22日からロードショーでした……!

「舞台挨拶付きで22日からだけど、綾瀬ちゃん行く?」

と師匠から連絡が。

行きたいです。今、秋田ですけど。
仕事……調整つけれるかしらん……。
一応チケットは二枚あるらしいです。がんばろう原稿。

『赤×ピンク』公式サイト

そして、原作の方はまだ読んでいないので、この10日間の間になんとか読もうと思っています。
ものすごく、買った気がしてるんですが……積ん読ダンボールの中にあるのだろうか……。
探すの時間かかるからもう今この瞬間にKindleで買っちゃおっかな……。

角川のページには簡単な紹介も→KADOKAWA

桜庭先生といえば、『私の男』の映画化も決まっていて、すごく楽しみなのですが。(あれ、音楽ジム・オールクって書いてある!!)
その前段階として、是非是非みたいなぁと思っています。
劇場情報を見る限り、100%秋田では上映しませんし。はは。

というわけで、きっととんぼ返りですが上京するために、ワタシゲンコウガンバリマス。


語り部としての物語-『華麗なるギャツビー』と『オン・ザ・ロード』- と、いうお話。

読了した2つの物語の映像を見るために、思いついたように部屋を飛び出した先週土曜。

どちらも小さな劇場で残り僅かなロードショーを終えようとしていました。

作品の名前は、『華麗なるギャツビー』『オン・ザ・ロード』

原作である『グレート・ギャツビー』と『路上』で、読み込みきれなかった部分を、きっと視覚的に補完してくれることだろうと期待を胸に頂きつつ、鑑賞したのでした。

『華麗なるギャツビー』の感想はこちら

『オン・ザ・ロード』の感想はこちら

 

すでに個々の感想は上記の記事で描かせていただきましたが、偶然にも同日並べてみたことによって感じた、横串での思いを、形にしておきたいと思って、最後のまとめを書こうと思います。

ネタバレは……今回はあまりないかもしれませんが、念のためまだの方はご注意ください。

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くしくもこの2つは「アメリカ」を舞台にしたお話でした。

『華麗なるギャツビー』の作者である、F・スコット・フィッツジェラルドは、「ロスト・ジェネレーション」を代表する作家の一人として有名です。

また『オン・ザ・ロード』の作者、ジャック・ケルアック「ビート・ジェネレーション」の旗手としてその名を轟かせました。

ロスト・ジェネレーションは第一次世界大戦の強い影響を受けた若者たちと、それによって生まれた作家達を指しています。

その子供たちに当たるのがビート・ジェネレーションであり、世界恐慌と第二次世界大戦を経験した世代なのです。

偶然とはいえ、無視することの出来ない繋がりがここに見えたのです。

 

『華麗なるギャツビー』には、第一次世界大戦の影が色濃く見えます。

主人公であるニック、そして中心人物のギャツビーはどちらも戦争から帰ってきた元軍人。

そして戦争故に引き裂かれたギャツビーとデイズィの若かりし頃、というエピソードもあり。

しかしながら、全体的な世界観としては、きらびやかなセレブ達の行き交う社交界が中心でした。

 

一方『オン・ザ・ロード』には、これいといって戦争という描写はありません。

しかし、若者の閉塞感が、何かを目指して一気に爆発するような勢いがあります。

現状を打開するために、どこかへいこう、何かを壊そうとする、渇望のようなもの。

まさしくカウンターカルチャーへと繋がっていく胎動のようなものです。

こちらは、お金がない、中流までいけないような若者たちの物語。

 

年代は違えど、その2つの場所から見るアメリカという国は、全く違って見えます。

かたやオープンカーを乗り回し、かたやヒッチハイクやオンボロ車で万引きを辞さない貧困の旅。

スピード違反をしても、証書を見せるだけで警察が頭を下げるギャツビー、しつこく疑われ、不当な罰金を課せられるディーン。

社会の構図といえばそれまでだけれど、当たり前のように貧富の差はあり、ただそのどちらであろうと関係なく、若者はいきいきとその国で、何かを求めて走ろうとしている。

そんなことを、浮き彫りにしてくれたような気がします。

みんな、血の通った人間がしていることなんだと。

 

この2つの物語は、全く同じ一つの構造を持っていました。

主人公が、「語り部」であることです。

 

『華麗なるギャツビー』では、ニック・キャラウェイが。

『オン・ザ・ロード』では、サル・パラダイスが。

二人が、自分の目で見た物語を、ありのままに文章に起こすのです。

それは、自分を中心とした話ではなく、一人の男を、描くという部分も、また同じ。

『華麗なるギャツビー』では、ジェイ・ギャツビー。

『オン・ザ・ロード』では、ディーン・モリアーティ。

 

語り部は、最後に、自分しか知らない「彼」を記録する必要性を強く感じ、一気に物語を描き上げるのです。

 

なぜ、語り部は、「彼」を記録しようとしたのか。

それは「彼」を理解している人間は「自分」意外にいなかったこと、そして「彼」が消滅してしまうから。

 

映画でのニックは、セラピー的にギャツビーの事を書くような描写がありますし、サルも、作家としての己の本能を強く刺激されてというのが本当のところだとは思います。

ただ、語り部としての彼らは「自分には彼を語る義務がある」という、どこか強い使命感を持っていたような気がします。

関わってしまったからでもあるし、彼から受け取った様々な楽しみや思い出、そして対する愛。

それゆえの懺悔、という感情もある気がしました。

 

映画では、終始「彼」を語る語り部としての視点ですが、原作ではもちろん語り部自身の物語も語ります。

ただ、語り部は「彼」との物語を通して「成長」はしません。

しない、というと厳密には違うのかもしれませんが、私が言いたいのは、主人公である語り部の「成長物語」としては描かれていないということです。

語り部は「書く」ことで物語の中に「彼ら」を残し、そして自分の物語をも終わらせるのです。

 

ハッピーエンドでも、成長劇でもないこの物語を、どのように見ればいいのか。

ただ、感じればいいのだと思います。

その人が、そこにいて駆け抜けた人生があった。それには、僕しか知らない秘密と輝かしさがあった。

それを、個々に記そう。あなたに伝えよう。

語り部は、誰ともなく誰かに、そう伝えたかったのではないでしょうか。

だから、あるがままに受け取って、彼らを感じればよいのかな、と思いました。

 

アメリカをつなぐ、父子という年代で繋がった、別々の若者たちの物語。

時代は違えど、社会や階級は違えど、そこには精一杯駆け抜ける人生という、輝きがあった。

 

自分に語る力がなくても、生きることで、生きたことを刻みつければ、それはいつか誰かの言葉によって語られるかもしれませんね。

誰ががきっと見ている、という言葉はあながち間違えていないかもしれません。

 

ニックとサル。

二人の語り部が、一心不乱に「彼」を書く姿が、私は一番好きでした。

 

良き友を。

たった一人だけでいいから、見つけたいものですね。