家入一真さんの去年のツイートなんですけどね。
24歳で亡くなったポエトリーラッパー不可思議くんの、気恥ずかしいくらいに青臭くヒリヒリする曲。生きたい、有名になりたい、という彼の叫びが、僕の心をザワザワさせる「Pellicule」by 不可思議/wonderboy http://t.co/C1Cx5Gkb9r
— 家入一真 電凸→08044431800 (@hbkr) 2013, 9月 20
このツイートを見た夜、暗い部屋でこの動画を見たのをなんとなく覚えています。
久しぶりにあった友人と、実際に話したことを詩にしたのかどうか、私は知らないのですが。
なんだかとても情景が思い浮かぶ、言葉たち。
私が勝手に感じたことなんですが。
久しぶりに会う友達と、主人公。
この二人に、微妙に距離があるように思えたんですよね。
「ずいぶん遠くまで行ってきた」友達は、風貌も変わり、それを主人公は、おいおいどうしちゃったんだよ、というわけですが。
この友達は、前とちょっと違ってしまっているんではないのかな、と。
それは見た目の変化だけではなく、「何かを見つけて」一歩先に行ってしまったんじゃないか。
二人きりで飲んで、主人公はいろんな話をしながら、ああでもないこうでもないと言うのですが、なんだか彼は空回りしたように話し続け、友達は静かに頷いている、そんな絵が私には見えました。
「いつまでも待ってた」主人公は、変化しなかった自分と、来なかった未来に思いを馳せながら足踏みをしているんじゃないかな、と感じたのです。
だから、一歩先に行ってしまった友達に、必死で語りかけているんじゃないかなって。
きっと、友達は、そんな主人公を、少しだけ冷めた目で見ていたんじゃないかなって。
家入さんのツイートにもあったけれど、このなんだかヒリヒリする感じは、きっと焦燥なんだと思うんです。
主人公は、焦燥している。
変わらない自分、来ない未来に、焦っている。
このままじゃダメなのに、もっとこうなりたいのに、どうして、って。
その主人公の焦燥は、きっと不可思議くん自体の、焦燥だったんじゃないかな、って、思うのでした。
私は、いつまでも待っていたくないし、変わりたいし変えてやりたいと思うので、この詩に心から共感はしないのですが。
ただ、ただ、胸が掻き立てられるような、泣きたくなるような、何かを感じます。
きっともっと若いころ、私も同じように、焦燥していたからだと思います。
だからこんなにも、ざわっとするんだろうな。
彼は、生きていたら今頃どんな詩を語っていたのでしょうか。
私は彼のことを知らないし、友達でもないけれど、この動画を見るたびに、彼がもうこの世界にいないことが信じられません。
彼が飛び越えたかった未来は、いまだ超えられない壁として、立ちはだかっているのでしょうか。
それに向かって彼は、今もこうして叫び続けているのでしょうか。
もし彼が、生きていたら、友達だったら。
私はたった一言、こう言いたい。
大丈夫だよ。
きっと、素敵な未来が待ってるよ、って。
小さくてもいいから、彼の言葉が、誰かを救ってくれますように。
響き続けますように。